令和元年最後に、ある日のお話。
10月のある日、広島に行ってきました。
”忙しい”と嘆くのは嫌いだし、本当に忙しい人はそんなふうに言わないし思わないからその言葉に逃げる感じだけは避けたいのですが。(実際そんな忙しくないんでねw
そうは言ってもただでさえ行事ごとの多い秋、スケジュールの隙間を見つけて半ば無理矢理にでも行きたかったのにはちゃんと理由があって。
僕は広島で生まれました。母方の地元。でもまぁ、僕が二歳の頃に父の転勤で岡山に移ったので、広島で暮らした記憶などはなく。
だから逆に、盆正月には必ず里帰りで訪れる田舎なのでいいイメージしかない。
その土地に暮らしているときっと、良い部分も悪い部分も見えてしまうのだろうけど。
だから僕はずっと広島が好き。
一番の憧れのミュージシャンは広島出身。
ずーーーっと、ではないけど、一番応援しているサッカーチームも未だ、広島。
ほぼ岡山で育ったくせに、捨てられない”広島出身”。笑
前置きが長くなったけどそんな広島の、僕の生まれた家、もっと言うと、母も、姉も、兄も生まれた家が無くなるということで、最後に一目見たいなぁなどと思い、行ってきたわけです。
もうここ数年空き家だったんですが、時々家族が宿として使ったりしていて、少しはぬくもりというか、生活感は残っていて。
やはり、帰ってくるとすぐタイムスリップしたような感覚になるし、やはりサヨナラすると思うと切なくなる。
でも、世の中のそれに反してその家の時間はもう、止まってるんです。
僕たちは動き続けなきゃいけないし、生きて行かなきゃいけない。
その家が”死んだ”とまでは言わないにしても、生まれ変わるタイミングというか、ある意味、時代の流れに沿う。乗る。ような。
きっと、「全うしたんだ」と思うようにしました。
僕よりも絶対、自分の親や、祖母や、天国に居る祖父の方が寂しいはずだし。
そんな生家を労いに行ってきたのでした。
ほんとに、最後に行けて良かった。
心から、ありがとうと思えました。
これこらも故郷はずっと、広島。
家は無くなっても、また行きますからね。