人それぞれというオチ

人それぞれ。という言葉が重宝がられてよく使われています。

でもこの言葉に落とし穴があるような気がしたんです。

 

"それぞれ置かれた環境が違うから悩みもそれぞれ違うし 自分なんて恵まれている方だ。だから弱音を吐かない!"

 

その根性自体は良いことかもしれない。強い印象もある。

でもこの落とし穴の中で縮こまってる人がたくさんいる気がするんです。

日本人は特にかもしれませんが"隣の人が何も言わないから自分も言わない"みたいな習性があって。自分だけが不平不満とか意見を言うとちょっと空気変わっちゃうから…みたいなスパイラル。

環境が違うとかってもっと極論言うと「あなたと私は違う人間だから」という話にまで及んでくるし「もーーーーーなんも言えねぇ!」ですよ。

そんなの当たり前なんだからそれぞれが気兼ねなく話したり意見をぶつけ合ったり助け合っていける社会になればいいのになーってほんとに思う。"異文化交流"みたいな感じで色んな立場や境遇の人が集まってもお構いなく「とりあえず何か話したいこと話してみて弱音の一つや二つ吐いて いいんだよ。悩みや愚痴があるなんて普通の事なんだよ。」っていう風潮。もっと欲しいなぁ。共通言語なんてあったりなかったりでいいと思うんですよ。気付きはその中にある気がするし。

 

自分と似たような境遇や考え方の人と出会った時の意気投合とか"救われた感"とかって凄まじいでしょ?

それはもうきっかけがどうあれ関わってみないと分からないし 相手の立場なんて分からなくて当然で。

"理解しようとする"その人の立場に立ってみるという想像力"が大切なんでしょうよ?

相手の立場に立とうとしない。立てない。というのはとっっても哀しい事ですよ。

 

とはいえ僕には解決策は見いだせないくらいこの話は解決難しいですし 結果まとまりません。(笑)

吐きだすにもまず勇気は必要ですし。

いやぁでも 抱え込んでしまう人ほど頑張り屋さんで 他人に頼れないパターンが多い気がするから。そういう人にもっと光が射してほしいなと。

そもそも「人それぞれだからねぇ」って言っちゃうと話終わっちゃうというか寧ろ始まらないし じゃあ極論 愚痴も悩みも何も言わない。ってなりかねない。

そんなに極論に走らなくても…と思うんです。

 

次回はそんな"極論"というお話。

けどその前に告知を一つ挟みますね!すごく凄く注目して欲しい告知!!カミングスーン!ᕦ(ò_óˇ)ᕤ